2017年6月30日金曜日

がけ地対策関係法令の不備?

急傾斜地崩壊危険区域に指定され,すでに県によって対策工が部分的になされている区域内のお宅が,建て替えをした.この方の家は崖下にあって,その崖の所有者は別の方である.その斜面は無対策のままであり,高さは5m程度でその上は平たん化されている.この平たん地は,おそらくは宅地であった見えるが,今は草が生い茂っている.崖下に住む方の住家は崖から1m程度しか離れていない.このため,崖が崩れれば,家の側面に当たってしまうだろう.

このような場合,法的には崖下で建て替える人ががけ崩れから自分の住家を守ることが求められるという.そのような防護工を設置するなどの配慮をしないと建て替えられないのだという.これは住んでいる人に酷ではないか.

斜面が崩れないように処置する義務は斜面の所有者にあるはずだ.今住んでいる方はかなり以前から住んでおられるようで,宅地購入時には,その斜面が危険であるとは認識できなかったと思われる.法的に崖下に住んでしまった人に瑕疵はないと思う.

斜面所有者,あるいは自治体が防護に要する費用を負担するべきと思うが,そうはなっていないようだし,そのような崩壊時の対策をせずに建築申請をして建て替えてしまったら,その許可自体を取り消すということらしい.

なぜか釈然としない.

2014年2月5日水曜日

「歴史から学ぶ防災論 関東大震災と茅ケ崎」講演


平成26119

茅ケ崎市役所分庁舎コミュニティホール

武村雅之さん「歴史から学ぶ防災論 関東大震災と茅ケ崎」講演メモ

  石碑に多いのは「あゝ91日」で,様々な思いが込められている.

  関東地震の余震は続けざまに,起こり10分くらいは揺れ続けていたと思われる.

  関東大震災の犠牲者は105千人余りで,火災の死亡者が92千人と大部分を占める.

  震源から離れた東京でなぜ大きな被害が出たかというと,隅田川の東部や日比谷の入り江などを埋め立てた土地に多くの人たちが住んでいた,いわゆる軟弱地盤上の地表が大きく揺れ,その人工密集地帯で木造家屋が倒壊し,火災が起きたことが原因である.

  火災は隅田川東部の軟弱地盤で発生し,多くの田舎者が江戸の掟を知らずに,大八車などで家財を持って避難した.誘導された場所は陸軍被服廠跡の広大な空き地であったため,多くの避難者は安心していた.そこで昼食を始めたところで,延焼によって火に包まれて一酸化中毒などで多くの人が亡くなった.もちろん,火災旋風の影響もあった.

  東京だけが,元禄地震のときに比べて,関東大震災の犠牲者が200倍にも増えているのは,元禄のときには人が住んでいなかった隅田川東部の湿地に,大正時代に多くの人が住むようになったことが原因と考えられる.

  震災予防調査会では,家財道具が延焼を促進し,犠牲者が増える原因になることは,江戸時代から広く知られ,その禁止を破ったものは罰するというお触れも出ていたが,東京に住み始めた地方出身者たちは,これを知らなかったために,家財を持ち出した.

  この教訓を現代に置き換えれば,大八車は自動車に該当することになる.大人は財産があるなど,しがらみがあって逃げ遅れがちであるが,子供たちはその縛りがないので,素早く逃げる判断ができる.

  地震の後に,むやみに動くことは他人の迷惑になるばかりか,命を落とす危険すら増す.

  横浜公園でも東京被服廠跡と同様に多くに避難者が集まったが,家財道具をもっている人が少なかった.これは,揺れが強くて家財道具を持ち出せなったことと,関内では当時珍しいサラリーマンが多かったことによる.けっして,警察官の適切な指示誘導があったからではない(横浜市の公式文書では警察官が適切な指示を行ったためと記述されている).当時,横浜公園で看護に当った日高ていさん(ご存命)によると,加賀町警察は全く役に立た無ったと述懐している.

  朝鮮人の大量虐殺があったが,中には朝鮮人を日本の暴徒たちから守って感謝されている日本人が数名居ることがことが記念碑に残されている.このほかに,演者の上司であった鹿島建設の大磯工事事務所所長は,朝鮮人を出せと詰めかけてきた日本人たちに日本刀を抜いて朝鮮人労働者たちを暴徒から守ったと云う.

  茅ケ崎市内でも多くの石碑が残されているが,近隣の住民も,管理者もその存在を知らないことが多い.それは石碑が敷地の外に向かって建てられているためである.これは通りを往く人たちに見てもらうことを念頭に置いていたと思われる.

  柳島では良好な港であったが,隆起によって使えなくなり,当時松尾川を流れていた小出川の流路を付け替えた.

  馬入川にかかる橋も倒壊したが,京都と豊橋の工兵隊が仮橋を仮設したという碑が平塚側に立っている.

  江の島の聖天島は,震災後に隆起して本島と陸続きになった.

  江の島の橋は木造の貧弱なものだったので,台風などの度に流されていたため,島内の住民は日頃から備蓄をしていた.このため,大震災のときも橋が流されたが,島内は落ち着いていた.

  藤沢に残されている石碑には,大災害に見舞われるという試練は人を偉大にするということが記されている.

  日本の偉大な物理学者である寺田寅彦が,西洋では科学で自然を征服できるとして,科学技術が進んだが,日本の自然は西洋の自然とは異なり,とても厳しい.科学技術は単に我々に新たな多くの選択肢を提示してくれるだけである.選択するのは人間であり,その選択の仕方で災害を軽減することができる.

  地震(自然)が悪いわけではない,自然を正しく理解し,どう対処するかは人間次第である.天災は,人間の知恵で減災することができる.

高橋 一紀 記

新春講演会「環境革命と国づくり,人づくり」涌井雅之さん,東京都市大学教授


2014.1.29

霞が関ビル35

涌井雅之先生ご講演メモ

日本専門新聞協会主催平成26年 新春講演会「環境革命と国づくり,人づくり」

  ある中小企業の経営者は,これからは3割安くするか、3倍技術力を上げるしかないとおっしゃっていた.

  「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と京都,竜安寺石庭の北庭(非公開)にある水壺(つくばいに刻まれている.

  「不安な時代の価値観マーケティング-旅行編」(富士通総研)では,アンケート結果をもとに「つながり志向」「安らぎ・癒し志向」「すごもり志向」などの生活者の価値観変化を抽出して,各タイプをツバメ、コウモリ、タカフクロウと命名し,巣篭り志向が増えていると分析している.

  ブータン王国は国家の指標として,GNH(国民総幸福量)を打ち出している.

  ケンペル(ドイツ人医師)が幕末の日本を訪れて,貧乏であっても,それを苦にしない姿に感動したと,エリザベス女王が1975年の来日時晩餐会で紹介した.

  「ルビンの壷」は向いあった人の顔にも見えるが,見えないものを見出すことが大切である.人はどうしても既往の概念に染まりやすいので,発想の転換が大事である.

  産業革命後の世界は「成長」が基盤であったが,環境革命後の世界は,「成熟」が社会基盤である.環境革命は,インフラに自然を取り入れることである.そして地縁結合型社会に転換し,自立することである.

  かつての「まちづくり」より「まちおこし」が重要となる.

  日本は世界でも美しい景色がある.それには理由がある.厳しい自然との共生が美しい景色を生むのである.

  西欧は城壁で生活空間を切り分け,外側に墓地を作った.

  一方,日本は江戸で代表されるように,「大家は長屋の糞で餅をつく」(「店中の尻で大家は餅をつき」)の糞尿のリサイクルや悉皆屋(修理屋)という商売も成り立っていたほどリサイクルが盛んであった..

  西欧に対して,日本の城の外は「里山」である.

  日本の自然の扱いが難しい。海流、脊梁山脈、川の勾配は急流で滝のようである.世界の0.25%の領土にM6以上の地震の2割が起こる.日本に住む日本人は,美人の妻(日本の自然は,美しく怖い)を貰った亭主に例えられる.

  日本には「いなす」知恵,レジリエンスな知恵がある.これを活かすべきである.

  東京タワーは剛な構造に対して,スカイツリーは柔な構造で日本の塔の建築技法を応用している.両者は対照的である.

  「大宝律令」をつくった藤原不比等は,行政界を流域界で分けた.

  日本の里山システムは,「奥山」には手を入れない.

  奥山,里山につづき,野辺,川辺,浜辺がある.

  奥出雲のたたら製鉄における鉄穴流しでは,里山の丘陵を切崩し,美しい棚田ができた.これは文化景観のひとつである.

  塩田が盛んだった地域では,燃料としての松を海岸に植えて,松木山という文化景観をつくった.

  雪国にはブナ林の里山があり,薪の提供,水源林として機能している.

  自然からの恵みは「利息」のようなものである.「元金」の自然は復元され続ける.日本がCOPで提唱したSATOYAMAに,発展途上国が賛同し,日本を支持してくれた.

  東北の海岸には海岸砂丘が発達し,その背後は湿地となっている.砂は強風で瞬く間に移動し,田畑が覆われてしまう.これを防ぐために,海岸防災林を育てた.

  武田信玄は,「聖牛」や「(棒)ダシ」などの水制工を立案・構築し,暴れ川を制御した.

  加藤清正は,水路の底に穴をいくつか掘って,水が渦をおこさせ,含まれる火山灰土(ヨナ)が水路底にたまらない工夫をした.

  日本は「花鳥風月」の国である.

  災害に対しては,「緩和」と「適応」という対応策に区分される.

  現代では,世界の約6割の人口が都市に暮らしている.

  日本人は「緑(みどり)」があって当たり前と思ってきた。

  敗戦後のシャウプ勧告によって,日本は道路を作り出した.

  都市化に伴い「緑(みどり)」は減少してきた.

  今世界はモーダルシフトの潮流にあり,都市の自動車を排除しようとしている。

  都市はコンパクトにして,「緑(みどり)」を増やす「コンパクトシティー」構想が大事になる.

  東京はコンパクト化を目指している.それが現れたのが東京オリンピックである.

  レガシープランが大事である.オリンピック後に何を遺すのかという視点が重要である.(ロンドンはオリンピックの後に世界一住みやすい都市に変貌した)

  自然資本を重視することが大事である.たとえばパリ市内には,プジョーのレンタルサイクルが300箇所以上整備されている.

  アメリカのウエストサイド地区の再活性化では,市民の運動が引き込み貨物線の高架を「緑のハイライン」によみがえらせた.

  韓国ソウルでは,前大統領の主導で高速道路を取り壊し,本来の川を復元した.

  涌井氏が手掛けた渋谷の大橋ジャンクションは,道路に屋根をかけ,「天空の庭 」をつくり,市民にやすらぎ空間を提供して,JHの企業イメージを一新させた.

  森ビルは,「生物多様性配慮型ビル」を提供している.これらは,「環境不動産価値」に結びつく.

  朽ちるインフラをどうするか考えて,(涌井氏が)東急と森ビルを引き合わせ「多摩田園都市22世紀ビル構想」を起こした.

  これからのインフラは「夢を創る」ことが大事である.「りんご形の国土計画」から「ぶどう型の国土計画」への転換が求められる.

  「エネルギー」「情報」「アクセス」「エコロジー」が「ぶどうの実」であり,国家の軸は「ふどうの茎」にあたる.

  五木寛之著「下山の思想」(玄冬舎新書)の「下山」とは,成長期に対する成熟期を指している.

  これからは,日本も世界も「自然の力を借りたグリーンインフラ」を整備していく必要がある.

以上(高橋一紀 2014.2.5記)

2011年8月13日土曜日

原発事故と認知心理学

D.A.ノーマン著「誰のためのデザイン」認知科学者のデザイン論,新曜社認知科学選書の94ページにおよそ次のような記述があって,驚いた.
「ある問題が起こったとき,それを誰のせいにしたらよいかを判断することは難しい.
高度な技術をもち,十分に訓練された人が複雑な機械を操作するときに,突如異変が発生したとする.何が問題なのかを見つけ出さねばならない.異変を知らせる信号自体が故障しているのかもしれない.
スリーマイル島の原子力発電所では,操作員は余分な冷却水を排水するバルブをとじるためのボタンを押した.ところが,バルブが欠陥品だったので,閉じてはいなかった.しかし,制御パネルには閉じているとランプが表示されていた.しかし,実はこのパネルのランプは,バルブに閉じろと命令を送ったことを示すものだった.そのことは,操作員たちも知っていたはずだったのに,なぜ問題があることに気が付かなかったのか.操作員たちは確かにバルブにつながるパイプの温度を見ていて,水が流れ出ていることを示していた.
ところが,なんと,操作員らは,そのバルブに漏れ穴があることも知っていたので,そこからの漏れで温度の説明はできてしまったのだった.しかし,彼らの判断は間違っていて,炉心から排出される冷却水は多量であり,原子炉事故はますます重大なものになった.
認知心理学者の考えでは,操作員たちはきわめてもっともな判断をしていたのであり,悪いのはバルブが閉まったと誤った表示をしたランプや装置である.」
つまり,人間の認知心理学を踏まえた機械設計になっていないことが問題だということだ.
こうしたデザインは身の回りにいっぱい見つけることができる.
どのように,開けたら良いかわからないドア,容器のふたなどである.

2011年4月7日木曜日

六角堂で引いた第99大吉

「職は,土,金,紙,木に縁あることなればよし」とあった!

2011年4月4日月曜日

春休みの家族旅行







中学校が春休みで,部活も休みとなったので,あらかじめ予定していた家族旅行に行ってきました.

1日目は母の希望で有馬温泉へ,2日目は娘の希望で名探偵コナンの名所を京都に訪ねました.


初日は,新神戸で降りて,まず北野の異人館巡りです.

そして,電車を乗り継いで,有馬温泉へ向かいました.午後はしだいに曇ってきて,トンネルを抜けるといっそう寒く感じました.さすがに山です.


有馬温泉駅からは歩いて,この日の宿「奥ノ坊」に到着.

一同へとへとで畳の部屋でぐったり,夕飯は7時からと遅いので,それまでに温泉にゆっくりと浸かりました.大浴場は外風呂が天然と書いてあり,見た目は赤茶けて不透明なお湯でした.味はしょっぱく,鉄分が含まれているとのこと.


夕食は神戸肉三昧コースということで,豪華で美味しかったのですが,食べ残したほどのボリュームでした.なかでも梅酒は絶品でした.


翌朝も部屋食で,これまた豪華でした.品数が多くて内容はいまいち覚えていません. 駅まで歩いて行きましたが,途中の川そいで写真をとったり,土産店をのぞいたりしました.


私だけ,有馬サイダー「てっぽう水」を1本買いました(250円).

このサイダーは日本のサイダーの原点で,天然の炭酸わき水を使ったそうです.ビンはレトロな雰囲気でデザインされていて,ガラスの色も上品な感じです.


昨日の逆順で電車を乗り継いで,新神戸にたどり着き,お土産を物色したり,薬を調達した後に,新幹線で京都に移動しました.


京都駅で,コインロッカーに荷物を預けて観光案内に寄り,貴船神社への行き方を訪ねました.その案内どおりに,バスで出町柳に,そこから叡山電鉄で,貴船口に.降りると運良くバスが来て,貴船神社の入り口近くまで行けました.バス停から少し歩いて,しばらく行ったところのそば屋に入りました.ちょっと高いと思ったのですが,その後の店の値札も同じようなものでした.


道の両脇に杉やエノキなどの巨木がそびえる深山で,貴船川に沿って登ります.この川の上で食事ができるようなに河床に杭が打ってありました.どうやら,夏は大勢の観光客で賑わいそうです.この日は,その準備をしている姿もみられました.川の両岸は急斜面ですが,自然景観保全地域に指定されているためか,斜面対策も竹で作った編柵工が丁寧に並んでいました.


貴船神社は,水の神様だそうで,水占いを試してみると,私も娘も中吉でした.ここでは奥の宮にあるという船形石に興味と期待を持っていたのですが,形は,予想とは違うものでした.しかし,それでも味わい深いものでした.


バス,電車を乗り継いで,出町柳に着くと,今度はタクシーで金閣寺に向かいました.閉館まじかの4時半に着いたので,あわただしく巡回しましたが,それでも天気がよかったので,しっかりと観ることができました.


最後におみくじを引いたり,お守りを買ったりしました.そこからホテルまでの足も面倒なので,タクシーで京都駅まで戻ることにしました.


その夜は,近くのレストラン街で,平凡なうどん屋に入りました.チェーン店でしたが,うどん自体はけっこう美味でした.母は不満のようでしたが,娘の希望が優先されたものです.


翌日の最終日の観光は,おまけのようなものでしたが,カミさんの希望する東寺の花見は却下され,娘の希望により,五条大橋,六角堂,弁慶石を見て回ることになりました.


ランチはマクドナルドで早めにすませて,一服した後にそこから近い国際漫画ミュージアムを目指しました.


途中,京都市工芸大学の卒論などを展示した京都伝統工芸館に立寄ました.

建築模型,竹細工,漆塗り,神奈川の箱根細工,木彫りの仏像などが展示されていましたが,講師が彫った透かし彫りの素晴らしさには,驚きます.


最後は国際漫画ミュージアムに寄りました.

大人の入場料が500円というので,娘以外の大人たちは外で満開の桜を見て待つことにしました.

この日は天気がよく,広い人工芝に来場者たちが,ねそべって漫画を読んでいて,なごみます.特に外国からの訪問者は,半袖で日光浴を兼ねているようです.


この京都における,この平地の空間はとてもゆったりとした異空間という感じです.


そんな具合で京都観光は終了しました.カミさんだけは,桜が見どころとされていた,東寺に行けなくて残念がっていましたが,娘の希望の箇所はほとんど廻ることができ,一行は概ね満足のようでした.


私が良かったのは,六角堂と貴船神社のパワースポットです.確かに良い気を頂いたようでした.六角堂で引いたおみくじも大吉でしたし・・・


そんな2泊3日の家族旅行でしたが,せっかちで自分勝手な母の歩きが加齢のために遅くなった分,はぐれることもなく,一同無事に帰宅することができました.


帰りの「のぞみ」の中では,向かい合わせの席にできたので,ゆったりできました.

私と娘は週刊誌と漫画を読みながら,寝てしまいました.カミさんと母は,買い込んだ週刊誌の東日本大地震の記事を読み続けていたようです.


こうして,つかのまの開放的な関西から,予断許さぬ東日本に舞い戻ってきました.

2011年1月3日月曜日

年頭所感

あけましておめでとうごさいます.

まわりをみると,自分の頭で考えない人が増えていると感じる.信頼できるだれかがそう言っているから,正しいと考える.自分で考えるためには,どうしたらいいだろうか.
まずは,普遍の真理をつかみ,そこから考えることではないか.それを教えるのが教育である.読み書き,そろばん,そして科学である.

一方で,内輪でまとまろうとする傾向がある.仲間になり安心し,はじかれて孤独になることを恐れる.こうした傾向は,短縮語に現れていると思う.短縮語はその仲間にだけわかる隠語である.知らないだけではじかれる.業界用語もそうだ.この助長は新聞の見出しにも一因があると思う.助詞を省いた見出しはとてもわかりにくい.口語も文語も省略する必要性があるだろうか.そんなに急いでどこにいくのか.

本当の仲間は,自分を取り巻く環境すべてである.

人に限って言えば,誰とでもコミニュケーションがとれることである.多様性を認めるということである.自分を基準に考えないことである.相手の意見を聞きとることである.自分の意見を相手に正しく伝え,相手の意見を読み取る力が,本来のコミニュケーション力だと思う.

これを教えることも教育である.

相手を出し抜く,競争がキーワードではない.相手とともに成長し,協調し,共生し,人類社会を持続させるキーワードは,「おもいやり」であると思う.